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【会報誌 風流(ふりゅう)】

IAC-国際芸術家センターの会報「風流(ふりゅう)」のPDFを下記よりダウンロードしてお読みいただけます。

風流35号

2017年2月1日発行
≪内容≫
・大使館でお茶をグァテマラ報告・大使館でお茶をリトアニア報告・大使と共に学ぶ茶事と懐石(グァテマラ大使夫妻)・「IACネットショップの初夢」・編集部便り
・こんにちは大使館「第23回ボスニア・ヘルツェゴビナ」・巻頭エッセイ「国際芸術家センターNPO法人10周年に寄せて」

中面 日本語Version
こんにちは大使館 日本語Version
巻頭エッセイ 日本語Version
こんにちは大使館EnglishVersion
巻頭エッセイEnglishVersion

【過去アーカイブス】

1952年の「ノーモアヒロシマズ」創作からIACの前身である「国際舞踊研修所」を経て、国際芸術家センターの設立、NPO法人への移行まで当時の貴重な写真と共にご紹介します。

1952年「No More Hiroshimas」の誕生

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「ノーモア・ヒロシマズ~星一つまたたきて」舞台写真
 世界の平和を念願し、国際親善に役立ちたいと活動している国際芸術家センターの原点は、創設者たちの広島での被爆体験にあります。1945年8月、広島に原爆が投下され、奇跡的に命をとりとめた木村秀夫は、同じく被爆した妻の舞踊家古月澄子、義妹で舞踊家の古月峰子とともに、世界の人々が二度とこのような目に遭わないよう、原爆の悲劇と平和への祈りをテーマにした舞踊劇、「ノー・モア・ヒロシマズ」を創作しました。内容はあくまで人道主義に立脚し、全幕を通じて人間の愛情―親子愛、夫婦愛、兄弟愛、子弟愛、友人愛、隣人愛―を強調しています。「ノー・モア・ヒロシマズ」は、これら人間の愛情を基調として構成されており、人類最大の悲劇のひとつである原爆の悲劇を原点とする私達の平和運動の一端を担っています。
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公演パンフレット  雑誌に掲載された紹介記事

1956年 「星一つまたたきて」

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「星一つまたたきて」公演パンフレット
1952年に発表された「ノーモア・ヒロシマズ」の舞台はあまりに生々しく、悲惨なものであったので、芸術を通じて純真に世界平和を訴えたいとの願いから、「ノーモア・ヒロシマズ」創作者の3人はこれを改訂し、舞台を被爆から10年が経ち復興のすすむ広島の町にもとめて、「星一つまたたきて」という作品を1954年から56年にかけて公演しました。その改訂した作品でも被爆の苦しい思い出を和らげはしなかっため、作品は長い休みを取ることとなりました。  その間に、創作者達は「国際芸術家センター」を立上げることで、自分達の心と身体を癒そうとしました。

1960年 「国際舞踊研修所」開所

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1960年 赤坂に建設された国際舞踊研修所
古月舞踊団が「ノー・モア・ヒロシマズ」と「星一つまたたきて」の2つの舞踊劇を上演し、原爆の恐ろしさ、平和への願いを訴え続けているうちに、自分達の念願に近づくためには単に舞踊の公演によって活動するだけでなく、世界の人々がもっとお互いに深く語りあい、本当に理解し合う機会を作らなければならないと痛切に考えるようになりました。ちょうど、「ノー・モア・ヒロシマズ」の東京公演を主催し、この運動に積極的に協力してくれた朝日新聞企画部の冠地俊生氏から、「アメリカを恨み原爆を恨むことはしばらくやめにして、他の国の芸術家との交流で平和を推し進める建設的な方向にむかってはどうだ」という忠告もあり、また世界連邦第一回アジア大会の公演を機縁に親しく交流するようになった下中弥三郎翁の協賛も得て、日本を訪れる各国の芸術家と日本の芸術家が親しく語り合い、研修活動や技術交換を行う場として、東京に「国際舞踊研修所」を作ることになりました。
 幸いに、この趣旨を理解してくれた大蔵省から東京赤坂の国有地を借りることができ、この土手地を切り開いてとりあえず稽古場とアーティスト・サロンのあるビルを建設し、1960年8月「国際舞踊研修所」としてオープンしました。
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建築中の研修所 建築中の研修所   工事は土手を拓いて行われた

開館に際しては、国内外の多くの方々から祝辞と激励のメッセージが寄せられ、開館披露の会には舞踊家をはじめとする芸術家、政界からは松村謙三、松田竹千代、南条徳男の3氏、広島原爆病院長重藤文夫氏、またアメリカ、イギリス、カナダ、フランス、ギリシャ、ポーランド、ソビエト、トルコなど20ヶ国の大使または文化部長などが出席して、この研修所における交流に大きな期待が寄せられました。
 国際舞踊研修所は、下中翁を理事長に、原爆被災者である木村秀夫、古月峰子、冠地俊生、藤田正見、横山政明が中心となって設立され、現在の国際芸術家センターの前身となりました。
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1960年8月 国際舞踊研修所の開館披露宴
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開館披露会に出席した松村謙三元文部大臣(中央)

1961年 第1回 名誉顧問会議開催

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第1回 名誉顧問会議の様子
国際芸術家センターでは、国際舞踊研修所として開所して以来、各国との密接な協力のもとに交流を行なってきました。特に交流の窓口となる各国大使館の文化担当官が、当センターの名誉顧問として任命されています。
 各国大使館から文化交流の要望を受け始めた矢先の1961年2月に、初代理事長の下中弥三郎が他界しました。下中は亡くなる前日、センター理事達を集め「世界の東西間の溝を埋めるのに一番大きな働きをするのは文化の交流である。国際舞踊研修所ほど各国大使館の支持と協力を得ている団体は他にないのだから、これらの大使館の人びとに集まってもらって今後の交流について意見を聞き、センターを発展させるべきだ」と言い残しました。
 これを受けて二代目理事長となった古月峰子は同年11月に第1回名誉顧問会議を招集。文化の交流について具体的な要望や各国の様子を聞き、また、こういった活動にふさわしい団体名を冠すべく、多くの案が出されました。
 第1回名誉顧問会議は、アメリカ、イギリス、インド、インドネシア、コロンビア、スイス、ソビエト、中華民国、ドミニカ、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)、パキスタン、フィリピン、ブラジル、ベトナム、メキシコの各国、また、この会議を機に新たに名誉顧問を任命した国、アルゼンチン、オーストリア、カナダ、チェコスロバキア、ガーナ、ギリシア、イラン、イタリア、韓国、ポーランド、スペイン、アラブ連合、ユーゴスラビアを合わせ、28カ国が参加して行われました。

1962年 名称を「国際芸術家センター」に改称

国際舞踊研修所の開所まもなく、各国の在日大公使は文化担当官を国際舞踊研修所の特別顧問として任命し、研修所の活動に対して積極的に協力してくれることとなりました。これらの特別顧問を窓口に研修所は舞踊を中心とした研修会や講習を次々と催し、各々の分野の専門家に大きな刺激を与えましたが、開所1年になる頃から舞踊ばかりでなく美術その他の分野の交流も行ってほしいという要望が各国大使館から出始めたため、第1回名誉顧問会議での話し合いを経て、1962年8月、設立2周年を期して名称を「国際芸術家センター(International Artists Center)」と改めました。
 こうして名実ともに世界のあらゆる分野の芸術家が集うセンターとして活動を広げていきました。

1962年 日本民族舞踊団の発足

1962年に発足した、国際芸術家センターの日本民族舞踊団の活動は、「日本の民衆が古くから伝承してきた民俗芸能を正しく継承し、現代に生きる意義あるものとして発展させていく。」「そのために、民俗芸能の持つ生活の息吹と土の香りを舞台の上に生かし、現代人の鑑賞に耐えうる芸術作品として完成させる。」「その作品をもって国内はもとより、広く世界各国の民衆と交流し、相互理解と親善に寄与する。」という3つに要約されます。
 発足当時の世界情勢としては、ソ連のモイセーエフ・バレエ団、ポーランドのマゾフシェ民族舞踊団などの存在がひろく喧伝され、またそれらの舞踊団が次々と来日し、魅惑的な舞台公演を行っていました。一方、国内の民俗芸能は、松竹歌劇、宝塚歌劇、日劇ダンシングチームなどがショーの一部として、花柳徳兵衛、榊原帰逸、黛節子氏などが自己の舞踊団において取り上げていました。さらに原太郎氏を中心とする民族歌劇団「わらび座」(秋田県の田沢湖畔)が本格的な活動に入ろうとしている時期でもありました。しかし、これらの活動はそれぞれの個人や団体が独自に行っていたもので、作品自体は優れていても、日本全国を貫く大きな流れにはなり得ませんでした。
 前述の各国民族舞踊団の来日をきっかけに、日本の芸術家や文化人の間でもこの分野の芸術ジャンルを代表する民族舞踊団の創立を期待する声が高まってきていました。また、民俗芸能を保持する各地方でも、戦後の急激な社会変化などにより民俗芸能の衰退が始まりかけていました。このような内外情勢のもと、「国際舞踊研修所」として発足し「国際芸術家センター」と改称したのちも、舞踊による文化交流を事業の中心として、日本を代表する民族舞踊団の創立を企画・推進し、活動を開始したのです。

1963年 全国民俗芸能調査を開始

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岐阜県「郡上八幡盆踊り」調査。
左から、郡司正勝、江口博、一人おいて青山圭男、藤蔭静枝の諸氏。
1963年より、この運動に対して文部省から助成金が出ることになり、これを機に日本各地の民俗芸能調査が開始されました。
 この調査と舞台化への研究は、民俗芸能研究家、舞踊評論家、演出家、舞踊家(邦舞、洋舞)、音楽家(邦楽、洋楽)、舞台美術家(装置、照明、衣装、道具)など多彩な分野から150名の専門家に制作委員を委託して開始され、準備委員会で検討して選出した民俗芸能30種を第一期として調査が行われました。
 現地の人びとの指導のもとに、オリジナルを十分に理解したうえで、創作年代、その目的、構成など、さまざまな分析研究を行いました。
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富山県「こきりこ」調査。
調査の合間に、子供たちと話し合う藤蔭静枝氏。
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佐賀県「面浮立」調査。
地元の人の笛を聞く清瀬保二氏(左)と本田安次氏(手前)。

1966年 日本民族舞踊団 初の国内発表会

1966年3月28日、第一期調査で採集した民俗芸能の中から12種目を、東京、虎ノ門ホールで最初の国内発表会が行われました。
 この発表会に先立ち、前年の1965年3月に同ホールで実験的な試演会を行いました。さまざまな角度からの意見を聞き、伝承された民俗芸能の本質は損なわず、冗漫さを整理し、音楽も含めて舞台演目としての芸術性、完成度を高めるためにさらに1年の研究期間を経て、日本民族舞踊団の正式デビューとなったのでした。
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八岐大蛇(広島県山形郡)
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綾子舞(新潟県刈羽郡)
「囃し田(広島県)」「鷺舞(島根県)」「田植踊(宮城県)」「虫送り(愛知県)」「豊年太鼓(石川県)」「宗方万行(熊本県)」「傘踊、豊年踊(愛媛県)」「八岐大蛇(広島県)」「麦屋節、飾山囃子、鬼剣舞・三人偉物、棒踊(熊本県)」「綾子舞(新潟県)」「泰平踊、あいや節(青森県)」「荒踊(佐賀県)」「阿波踊(徳島県)」が、発表会の演目でした。
 発表会にあたって、時の文部大臣、外務大臣をはじめ、作家、芸術家など各界の著名・文化人から多数のメッセージが寄せられました。

1966年 第2回 名誉顧問会議開催

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第2回 名誉顧問会議の様子
1966年5月、第2回名誉顧問会議が開催されました。さまざまな分野での文化交流が盛んになるにつれ、手狭になってきた施設の拡大を目指し、新国際芸術家センタービルの建設の問題が話し合われました。また、訪日する海外の芸術家や学者が短い滞在期間中に効率的に日本文化を視察するための情報サービスや、英文の文化交流誌の発行など、新たしい活動の紹介も行われました。
 この会議には、アメリカ、アルゼンチン、イギリス、イタリア、イラン、インド、インドネシア、オーストラリア、オランダ、ガーナ、カナダ、韓国、キューバ、ギリシア、スウェーデン、スリランカ、ソビエト、チェコスロバキア、中華民国、トルコ、ブラジル、フランス、ベトナム、ベルギー、ポーランド、マレーシア、メキシコ、ユーゴスラビアの28カ国が出席。当日出席はできませんでしたが名誉顧問が任命された国はアラブ連合、アルジェリア、イラク、ウルグアイ、カンボディア、グアテマラ、クウェート、スイス、スペイン、デンマーク、ドミニカ、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)、ノルウェー、ハンガリー、フィリピン、フィンランド、ブルガリア、ルーマニア、レバノンの19カ国でした。

1967年 日本民族舞踊団 初の海外公演(第一期)

1967年3月に、東京の国立劇場で第2回国内発表会を行った後、モントリオール万国博に招聘された日本民族舞踊団は、7月から8月にかけてカナダのモントリオール、アメリカのワシントン、シカゴ、サンフランシスコ、ロサンジェルス、メキシコのメキシコシティにおいて、第1回の海外公演を行いました。
 初めての海外公演でしたが、
“眼をうばうスペクタクルナ魅力”……「八岐大蛇(やまたのおろち)」
“生きている日本の版画”……優雅な「綾子舞」
また、津軽三味線の独奏や津軽の踊りの野性味と迫力への感動……など、
表情豊かな日本の民俗芸能は各地で絶賛を浴びました。
1967
モントリオール万国博・ジャパンデーの荒踊(1967)
これを皮切りに、1968年に中近東、1969年にソ連・東欧諸国、1970年に東南アジア諸国と、次々に訪問し、第一期の海外公演としていずれも成功を収めました。

1971年 帰国報告公演と新レパートリー

1971
新しい「Bプロ」レパートリーの1つ「鹿踊り」
1971年2月、海外で上演してきた作品を日本の観客に報告する意味でAプロとし、新しいレパートリーとして発展させる作品郡をBプロとして、帰国後第1回目の公演を東京国立劇場で行いました。
●Aプロ:
 ・花笠踊と棒踊
 ・綾子舞
 ・鬼剣舞
 ・津軽三味線独奏、じょんがらとあいや
 ・器楽演奏「竜笛と大太鼓による即興曲」
 ・荒馬
 ・八岐大蛇(やまたのおろち)
 ・稲作舞
●Bプロ:
 ・綾子舞(三番叟、こきりこ、猩々舞)
 ・荒踊(荒踊、銭太鼓、綾竹)
 ・石見神楽・岩戸開き
 ・泰平踊、田植え踊  ・民謡・津軽木挽歌  ・鹿踊
 ・飾山囃子(おやまばやし)
 ・えびす舞
 ・念仏剣舞と雛子剣舞

1972年~1978年 国内・海外での公演

前年の第1回国内公演後、1972年2月の第2回国内公演以降、日本民族舞踊団は、数々の国内・海外公演を実施し、日本民族舞踊団は、名実ともに日本の民俗舞踊、伝承芸能の文化使節として、2005年までに海外派遣20回49カ国、154都市で公演し、日本国内でも130の地方自治体の自主文化事業等に協力・参加しました。
1972
ミュンヘン・オリンピック世界民族舞踊祭に参加(1967)。フェスティバル会場のミュンヘン・クローネ劇場
1976
アメリカ建国200年祭で公演。写真はロック・フェラーセンターで東京都のメッセージを伝達する木村団長(1976)
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舞踊団の公演は新聞でも大きく報道された(1977.7.22 スペイン デァリオ・デ・マヨルカ)

1979年 第3回 名誉顧問会議開催

1979
第3回 名誉顧問会議の様子
1979年1月に開かれた第3回 名誉顧問会議では、第2回の会議で検討されたものの、一時棚上げになっていた新国際芸術家センタービルの建設の見通しがついたことから、文化交流の拠点としてよりよいセンタービルの建設を目指し、各大使館の具体的な希望や意見を聞きました。また、さまざまな質問や提案もなされました。第3代理事長の木村秀夫は各大使へも会議の内容を報告する手紙を認めています。
 この会議には、68カ国もの大使館から名誉顧問が任命されました。参加国は、アメリカ、アルゼンチン、イギリス、イスラエル、イタリア、インド、インドネシア、オーストラリア、オランダ、ガーナ、カナダ、ギリシア、コロンビア、ザイール、ザンビア、スリランカ、ソビエト、チェコスロバキア、チュニジア、デンマーク、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)、ナイジェリア、パキスタン、バングラデシュ、フィリピン、フランス、ブルガリア、ベトナム、ペルー、ベルギー、ポルトガル、マレーシア、モロッコ、ラオス(オブザーバー)、リビア、リベリア。
 また、当日参加はできなかったものの、名誉顧問を任命した国は以下の通りです。アフガニスタン、アラブ首長国連邦、イラク、ウガンダ、エクアドル、エジプト、エチオピア、韓国、グアテマラ、シンガポール、スウェーデン、スーダン、セネガル、タンザニア、チリ、ドイツ民主共和国(東ドイツ)、トルコ、ニュージーランド、ネパール、ノルウェー、ハイチ、パプアニューギニア、ハンガリー、ビルマ、フィンランド、ポーラド、ボリビア、メキシコ、モンゴル、ヨルダン、ルーマニア。

1984~1985年 冷戦時代の「ノーモア・ヒロシマズ~星一つまたたきて」

1952年の「ノーモア・ヒロシマズ」、1954-55年の「星一つまたたきて」発表からおよそ30年後のアメリカとソ連の冷戦時代、原爆後遺症がもとで、古月峰子は白欠病、古月澄子は癌を患い二人とも既に他界、 創作者で一人残された木村秀夫は、核戦争の危機を感じ、長く封印されていた作品を「ノーモアヒロシマズ~星一つまたたきて」とし1984年、東京、広島、ニューヨーク(公演後、当時の明石康国連事務次長等と歓談した時の写真ほか)で再演、続く1985年当時のソ連のと東ドイツで公演しました。
1984
ニューヨークタイムズの掲載記事
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ニューヨーク公演後、明石国連事務次長等と歓談。
左から鈞・中国国連次席大使、明石国連事務次長、
古月公子、黒田国連大使、木村秀夫

2006年 NPO法人に移行

任意団体「国際芸術家センター」は半世紀近くの活動で、諸外国との双方向の交流実施の体制を確立してきました。その活動は、日本の民俗芸能の振興・啓発を図ることと、内外の民族芸術家の派遣・招聘による公演を通じて国際文化交流を推進するという2つの柱を掲げて行われています。
 「文明の衝突」と称される混沌とした時代が続く中、センターの存在意義は一段と高まっているとの認識のもとに、2006年10月任意団体から特定非営利活動法人(NPO)に移行し、活動基盤の抜本的強化を図りながら、一段と活発な事業展開を目指すこととなりました。

NPO法人として最初のリーフレット
NPO法人として最初のリーフレット

2006年 NPO法人として初の海外派遣

2006年10月、シトカ(Sitka)アラスカ・デー・フェスティバルに、日本人アーティスト(ヴァイオリニスト、振付家・ダンサー)2名を派遣。コンサートと踊りのパフォーマンスで喝采を浴びました。2人は、フェスティバル出演だけでなく、学校、病院などを訪問し、平和・文化交流の架け橋として、多くの人びとと交流活動を行いました。
 この活動は各メディアでも大きく取り上げられ、そのパフォーマンスは、観衆の大喝采を浴び、現地の人びととの暖かい交流も生まれました。このように日本のアーティストの活動を海外に紹介していくことも、IACのめざす国際文化交流の大切な一面です。

アラスカ・シトカで行われたヴァイオリンとバレエのパフォーマンス会場で
アラスカ・シトカで行われたヴァイオリンとバレエのパフォーマンス会場で

日本人アーティストの活動はメディアでも大きく取り上げられた(Daily Sitka Sentinel; 2006.10.17)
日本人アーティストの活動はメディアでも大きく取り上げられた(Daily Sitka Sentinel; 2006.10.17)

2007年 「NPO法人 国際芸術家センターの夕べ」開催

2007年4月10日、東京・文化シャッターIBXホールにおいて、NPO法人として初のイベントを開催しました。
 新たにNPO法人として国際文化交流に臨むIACの抱負、2006年にアラスカ・シトカに派遣したアーティストのパフォーマンス、日本民族舞踊団の演奏・演舞の3部構成とし、諸外国大使館からの来賓をはじめ、多くの観客に披露しました。

NPO法人としてのIACについて語る山口理事長
NPO法人としてのIACについて語る山口理事長

日本民族舞踊団の演舞「飾山囃子(おやまばやし)」
日本民族舞踊団の演舞「飾山囃子(おやまばやし)」

2006年にアラスカ・シトカに派遣したアーティストのパフォーマンス
2006年にアラスカ・シトカに派遣したアーティストのパフォーマンス

2007年 IAC会報誌「風流」創刊

2007年4月、NPO法人IACの理念・活動内容やさまざまな情報を、定期的に会員に届けるため、年4回発行の機関紙『風流』を刊行することになり、創刊1号が「NPO法人 国際芸術家センターの夕べ」の開催に会わせて発行されました。

機関紙『風流』創刊号 〈風流創刊号の事務局便りから〉
機関紙『風流』創刊号
〈風流創刊号の事務局便りから〉

「鬼童」の公演
「鬼童」の公演

「次代の文化使節」も着々と育っています。本年三月、ディズニーアンバサダーホテルにコンピューターのプログラミングコンテストのファイナルに残った若者約600人が世界各国から集いました。彼らに日本の子どもの踊りを見せたい、という主催者IBMからの要請で、石井漠記念バレエスタジオの協力により五名の小学生をIACより派遣、岩手県の鬼剣舞をもとにした日本の雰囲気たっぷりの「鬼童(おにわらべ)」を披露し、会場中、スタンディングオーベンションでした。今後、さらに国際舞台を踏むことが期待される子どもたちです。

2007年 4月 NPO法人国際芸術家センター(IAC)の夕べ 開催

4月10日 文化シャッターBXビル2階(東京都文京区)にて、「NPO法人国際芸術家センター(IAC)の夕べ」を開催しました。NPO法人となって最初の記念すべきイベントは、アーティストのパフォーマンス、日本民族舞踊団の公演と、NPO法人として、文化交流を通じ世界平和への貢献を熱く語る山口理事長のお話。公演後のロビーでの歓談も楽しい国際交流の場となっていました。
当日のプログラム
◆バイオリニスト・藤田めぐみとバレエダンサー・世良留実によるパフォーマンス
◆ 理事長・山口洋一から国際芸術家センターと文化交流についての話
◆日本民族舞踊団のミニ公演

秋保の田植踊り(あきうのたうえおどり)、鬼剣舞(おにけんばい)、傘踊り、  津軽三味線独奏、津軽じょんがら、津軽あいや、飾山囃子(おやまばやし)
秋保の田植踊り(あきうのたうえおどり)、鬼剣舞(おにけんばい)、傘踊り、  津軽三味線独奏、津軽じょんがら、津軽あいや、飾山囃子(おやまばやし)

2007年8月 日本民族舞踊団「制作室」の活動再開

8月26日 場所:秩父三峯神社 獅子舞
秩父市「三峯(みつみね)神社獅子舞」調査にご参加ください
 日本民族舞踊団は、日本各地に伝わる民俗芸能を舞台化しています。1963年の団の創設時から地方の民俗芸能調査と作品検討を繰り返して舞台公演として披露するまでに、長い時間をかけています。そのような調査研究を行う「制作室」をNPO法人としての再発足を機に再開し、「制作室月報」で活動状況をお知らせすることになりました。
 復活後初めての調査となる秩父市の「三峯(みつみね)神社獅子舞」は8月26日(日)です。三峯神社のホームページ諏訪神社の獅子舞をご参照ください。

2012年3月 世界の工芸品「IACインターネットショップ」オープン

各国の工芸品は、その地域の動植物という身近な自然のものを材料に、何代にも わたり、地域や家族に伝わる手法で受け継がれている品々です。それらは、日常使いを考えて実用的でありながら、遊び心のある模様やデザイン、また醸し出す 民族的な味わいは魅力的で芸術的ともいえるものがたくさんあります。IACだ からこそご紹介できる貴重な品々をご紹介しようというコンセプトのもとオープンしました。どうぞご贔屓に。
IACオンラインショップ