【過去アーカイブス】
1952年の「ノーモアヒロシマズ」創作からIACの前身である「国際舞踊研修所」を経て、国際芸術家センターの設立、NPO法人への移行まで当時の貴重な写真と共にご紹介します。
1952年「No More Hiroshimas」の誕生
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1956年 「星一つまたたきて」
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1960年 「国際舞踊研修所」開所
開館に際しては、国内外の多くの方々から祝辞と激励のメッセージが寄せられ、開館披露の会には舞踊家をはじめとする芸術家、政界からは松村謙三、松田竹千代、南条徳男の3氏、広島原爆病院長重藤文夫氏、またアメリカ、イギリス、カナダ、フランス、ギリシャ、ポーランド、ソビエト、トルコなど20ヶ国の大使または文化部長などが出席して、この研修所における交流に大きな期待が寄せられました。 |
1961年 第1回 名誉顧問会議開催
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1962年 名称を「国際芸術家センター」に改称国際舞踊研修所の開所まもなく、各国の在日大公使は文化担当官を国際舞踊研修所の特別顧問として任命し、研修所の活動に対して積極的に協力してくれることとなりました。これらの特別顧問を窓口に研修所は舞踊を中心とした研修会や講習を次々と催し、各々の分野の専門家に大きな刺激を与えましたが、開所1年になる頃から舞踊ばかりでなく美術その他の分野の交流も行ってほしいという要望が各国大使館から出始めたため、第1回名誉顧問会議での話し合いを経て、1962年8月、設立2周年を期して名称を「国際芸術家センター(International Artists Center)」と改めました。 |
1962年 日本民族舞踊団の発足1962年に発足した、国際芸術家センターの日本民族舞踊団の活動は、「日本の民衆が古くから伝承してきた民俗芸能を正しく継承し、現代に生きる意義あるものとして発展させていく。」「そのために、民俗芸能の持つ生活の息吹と土の香りを舞台の上に生かし、現代人の鑑賞に耐えうる芸術作品として完成させる。」「その作品をもって国内はもとより、広く世界各国の民衆と交流し、相互理解と親善に寄与する。」という3つに要約されます。 |
1963年 全国民俗芸能調査を開始
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1966年 日本民族舞踊団 初の国内発表会1966年3月28日、第一期調査で採集した民俗芸能の中から12種目を、東京、虎ノ門ホールで最初の国内発表会が行われました。 |
1966年 第2回 名誉顧問会議開催
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1967年 日本民族舞踊団 初の海外公演(第一期)1967年3月に、東京の国立劇場で第2回国内発表会を行った後、モントリオール万国博に招聘された日本民族舞踊団は、7月から8月にかけてカナダのモントリオール、アメリカのワシントン、シカゴ、サンフランシスコ、ロサンジェルス、メキシコのメキシコシティにおいて、第1回の海外公演を行いました。 |
1971年 帰国報告公演と新レパートリー
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1972年~1978年 国内・海外での公演前年の第1回国内公演後、1972年2月の第2回国内公演以降、日本民族舞踊団は、数々の国内・海外公演を実施し、日本民族舞踊団は、名実ともに日本の民俗舞踊、伝承芸能の文化使節として、2005年までに海外派遣20回49カ国、154都市で公演し、日本国内でも130の地方自治体の自主文化事業等に協力・参加しました。 |
1979年 第3回 名誉顧問会議開催
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1984~1985年 冷戦時代の「ノーモア・ヒロシマズ~星一つまたたきて」1952年の「ノーモア・ヒロシマズ」、1954-55年の「星一つまたたきて」発表からおよそ30年後のアメリカとソ連の冷戦時代、原爆後遺症がもとで、古月峰子は白欠病、古月澄子は癌を患い二人とも既に他界、 創作者で一人残された木村秀夫は、核戦争の危機を感じ、長く封印されていた作品を「ノーモアヒロシマズ~星一つまたたきて」とし1984年、東京、広島、ニューヨーク(公演後、当時の明石康国連事務次長等と歓談した時の写真ほか)で再演、続く1985年当時のソ連のと東ドイツで公演しました。 |
2006年 NPO法人に移行任意団体「国際芸術家センター」は半世紀近くの活動で、諸外国との双方向の交流実施の体制を確立してきました。その活動は、日本の民俗芸能の振興・啓発を図ることと、内外の民族芸術家の派遣・招聘による公演を通じて国際文化交流を推進するという2つの柱を掲げて行われています。 |
2006年 NPO法人として初の海外派遣2006年10月、シトカ(Sitka)アラスカ・デー・フェスティバルに、日本人アーティスト(ヴァイオリニスト、振付家・ダンサー)2名を派遣。コンサートと踊りのパフォーマンスで喝采を浴びました。2人は、フェスティバル出演だけでなく、学校、病院などを訪問し、平和・文化交流の架け橋として、多くの人びとと交流活動を行いました。 |
2007年 「NPO法人 国際芸術家センターの夕べ」開催2007年4月10日、東京・文化シャッターIBXホールにおいて、NPO法人として初のイベントを開催しました。 |
2007年 IAC会報誌「風流」創刊2007年4月、NPO法人IACの理念・活動内容やさまざまな情報を、定期的に会員に届けるため、年4回発行の機関紙『風流』を刊行することになり、創刊1号が「NPO法人 国際芸術家センターの夕べ」の開催に会わせて発行されました。 「次代の文化使節」も着々と育っています。本年三月、ディズニーアンバサダーホテルにコンピューターのプログラミングコンテストのファイナルに残った若者約600人が世界各国から集いました。彼らに日本の子どもの踊りを見せたい、という主催者IBMからの要請で、石井漠記念バレエスタジオの協力により五名の小学生をIACより派遣、岩手県の鬼剣舞をもとにした日本の雰囲気たっぷりの「鬼童(おにわらべ)」を披露し、会場中、スタンディングオーベンションでした。今後、さらに国際舞台を踏むことが期待される子どもたちです。 |
2007年 4月 NPO法人国際芸術家センター(IAC)の夕べ 開催4月10日 文化シャッターBXビル2階(東京都文京区)にて、「NPO法人国際芸術家センター(IAC)の夕べ」を開催しました。NPO法人となって最初の記念すべきイベントは、アーティストのパフォーマンス、日本民族舞踊団の公演と、NPO法人として、文化交流を通じ世界平和への貢献を熱く語る山口理事長のお話。公演後のロビーでの歓談も楽しい国際交流の場となっていました。 |
2007年8月 日本民族舞踊団「制作室」の活動再開8月26日 場所:秩父三峯神社 獅子舞 |
2012年3月 世界の工芸品「IACインターネットショップ」オープン各国の工芸品は、その地域の動植物という身近な自然のものを材料に、何代にも わたり、地域や家族に伝わる手法で受け継がれている品々です。それらは、日常使いを考えて実用的でありながら、遊び心のある模様やデザイン、また醸し出す 民族的な味わいは魅力的で芸術的ともいえるものがたくさんあります。IACだ からこそご紹介できる貴重な品々をご紹介しようというコンセプトのもとオープンしました。どうぞご贔屓に。 |